2009年5月20日水曜日

状況判断が、出来ない奴をバカという

家元、立川談志の格言。

「努力とは才能のないバカに与えられた夢」
「バカは隣の火事より恐い」
「学問とは貧乏人の暇つぶし」

「酒は人間を駄目にするのではない、
 人間が駄目なものだと確認させる為に酒は存在する」
「酒や煙草を止めるのは意志の弱い奴のやること」

「契約とは、信頼に対する最大の裏切り」

「本当の美談なんて、恥ずかしがって表には出てこないよ」

「俺は偽悪家ではない、常識という嘘に照れてしょうがない」

「落語とは人間の業の肯定である」


歌詞が書けない、または歌詞は書けると思っている、
ちっとも言葉が面白くない若いバンドマン、ミュージシャンの方々。
こんなとこから、物の見方、見立ての妙を学習したらいかがです?
言葉の強度はそのままコミューニケーション願望の強度ですぜ。
誰かに何かを伝える、ということに対して謙虚にならないと、
上手い言い回しは絶対に思いつきませんよ。

なんて、、、、言うだけ野暮なんだけどね。


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人生、成り行き―談志一代記』立川談志

2009年5月12日火曜日

それで君を呼んだのに

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先週の土曜日は清志郎のお葬式を済ませて、
神田須田町の「まつや」に行きビールとお酒を飲んだ。
「まつや」はもちろん満席でいつものように相席だったが、
喪服のままネクタイをはずしワイシャツのボタンを開けて、
まるで夏のようだったうだる昼下がりに一人で飲むビールは美味しかった。

翌日の日刊スポーツの記事にギターの三宅さんが、
ほんとはボスはああいう派手なのは苦手で、
隅っこのほうで「なんだかなー」とタバコ吸ってるんですが、、、、
みたいな内容のコメントを出していて、なぜだか嬉しかった。

そういえば15年前に清志郎とチャボ名義でのライブが野音であった。
RC解散後初めて実現した2人のステージだったので、
そのライブに対するファンの期待度は尋常じゃなかった。
浴衣姿に麦わら帽で出て来た清志郎といつもの格好で出て来たチャボ。
チャボのギターがアルペジオをつま弾き、清志郎は歌い出した。

 俺たちよそ者 どこに行ったって 
 だからさそんなに親切にしてくれなくてもいいのに

客席は一瞬完全に息をのみ、鳥肌を立てて、
やっと割れんばかりの拍手となった。
すごい始まり方だった。
特別な特別なライブの1曲目は全てのファンの予想を裏切って、
なんと「よそ者」という曲だったんだ。

2009年5月7日木曜日

追悼 忌野清志郎

清志郎がいなければ今の仕事をしていなかったのかもしれない。
私もそういうたくさんの人のうちの一人である。
ディレクターとして彼と一緒にレコードを作ったこともあるし、
依頼されてファンクラブの会報に彼についての論考を書いたこともある。
また江戸屋としてもCharと清志郎の縁深い繋がりがあったので、
遠からぬ関係にあったんだと思う。時にCharから清志郎の話を、
清志郎からCharの話を聞くのは、私の秘かな楽しみだった。

しかしながら、私が十代でまだ何者でもなかったころ、
九州の西端の片田舎にまで届いた衝撃は凄かった。
その頃の清志郎はRCサクセションで、
佇まいは宇宙か別の世界からやってきたエイリアンのようだったし、
音楽は攻撃的で猥雑でいやらしくて、
歌詞はまるで「罪人こそが聖人である」という風な、
真実を暴露しようとする大胆さとユーモアに貫かれ、
その声は完全に世間をナメきりながら、
ひとりでも世界と闘おうとするガッツと率直さが宿っていた。

いつも独りぼっちのようなスネた気分で生きていた私は、
RCを聴く時、宝物を掘り当てた子供のように勇気凛々、自信満々になった。
彼の音楽に出会わなかったら今よりも格段に
卑怯で臆病でずるくて情けない奴になっていたに違いない。
今だってロクなものではないかもしれないが、
幾分かでもマシになれたとしたらそれは彼に負うところが大きい。
彼の音楽が私の魂をクリーニングし清めドライヴさせて解放した。
私はそのことを生涯忘れないだろう。

心から感謝しています。さようなら、ありがとう。忌野清志郎。